「フリーターは惨め」 近大、HPの文章削除
真実なんだから仕方ない。なぜ消す必要があるのか。 年金も払わず、無駄に、無責任に、歳を重ねる人間をなぜそこまで擁護する必要があるのか。 そんな風に思われているのを承知の上で好き勝手やってるのならまだしも、そんなもんで「侮辱された」なんて泣き言吐くぐらいなら最初っからきちんと社会人でもやってろっつうの。 例え、そう思われようが、オレにはやりたいことがあるんだ!その夢を実現するために、今は止むを得なくフリーターをやってるけど、お前ら今に見てろよ!俺はビッグになるんだからな! ぐらいの意気込みがあるのならまだしも、楽な方楽な方を選択した結果が今のお前なのなら、そう思われても仕方ないどころか、その通りで何も返す言葉がございませんってなもんだろ! 個々の資質の問題ではあるのだが、この文章みて「侮辱された」なんてふざけたことをぬかしているようなフリーターとはまともに話をする気にもなれないわ。 #
by yaling
| 2006-11-29 15:30
| ニュースなぼやき
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by yaling
| 2006-11-29 10:48
| ニュースなぼやき
あのね、ふと疑問に感じたんですけど…
米国産輸入牛肉ってさ結局、なにがどうなったのかイマイチハッキリしないまま再開された訳ですけど、以前にニュースでさ 「結局、食べるか食べないかは消費者が選択すればいいこと…」 なんて発言を政府の人間だか、輸入業者の人間だかが言ってたのを思い出して… その時は「そりゃまぁそうだ。イヤなら食べなきゃいいもんね。」なんて気楽に考えていたんですけど… 「ん!? 本当にそうなのか?」 危ない”かもしれない”食品を売っておいて、「危ない”かもしれない”」って言ったにも関わらず食べたのはアンタなんだから、何かあっても自己責任でしょ。 なんて理論はアリなのかな。 薬害エイズ問題や、水俣病や、アスベストなんかもそうなんだけれど、その時はグレーゾーンかもしれないけど、結局クロだったってことはこれまでにもザラにあることだと思うんですけど、それを防ぐのが政府や企業の役割じゃないんだろうか。 それでどうにかなっても「自己責任」なんて言われたんじゃ、結局誰も信じられない、自分で自給自足するしか、確実な方法は無いってことなのか? うーん…。どうなんだろうねぇ。 #
by yaling
| 2006-11-25 17:45
| その他のぼやき
オーストリーと呼んで オーストリア大使「オーストラリアと混同」
いやね、これも歴史教育の問題のひとつなんじゃないかと思うんだけれど、確実に世界史の中において、より重要な国であるはずの「オーストリア」が格下(こういう言い方は多分に語弊がありますが、ここは敢えてこう記述しておきます)の「オーストラリア」と間違えられて困るので改名したいと自ら言い出すとは…。 そりゃ、私も歴史の授業はあんまり好きではありませんでしたが「オーストリア」の歴史をもう少しキチンと理解さえしておけば、そんなもん間違いようがないくらい全く別物と言いますか、オーストラリアなんて取るに足らない存在なわけですよ。(何度も言いますが、個人的にオーストラリアには何の恨みもございませんし、嫌いなわけでもございません) それでも自ら「オーストリー」にしてくれと言い出す背景にはそりゃもう想像以上の苦痛が彼らにあったということで、察するに余りあることなわけであります。 これはもう、日本国としても自分たちの歴史教育がどれほど意味の無い役立たずな物なのだったかを反省し、ややこしいとか急すぎるなど言わずに素直に受け入れてやるべきなのではないかと。 入試のときにどちらが正解かなんてどうでもいいことを気にするぐらいなら当分どっちも正解ということで。なんなら「オーストラリア」も「オーストリー」とみなすぐらいの寛大さがあっても彼らが受けてきた屈辱に比べるとその比ではないのではなかと。 というわけで、ここで今一度、自戒の念を込めて「オーストリー」の歴史をウィキで読み直しておきましょう。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 「オーストリア」 なんていいながら、実は地球史においては「オーストラリア」の方が歴史が古かったりするからタチが悪い…。 なので後で恥をかかないように、こちらも合わせて勉強しとかなきゃだわ…。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 「オーストラリア」 プププ(笑)・・・「30,000年前に人類居住跡が見える」だってさ。ハプスブルク家も真っ青だわ。 #
by yaling
| 2006-11-21 13:36
| ニュースなぼやき
「弟子に準備ができたとき、師は自然に現れる」
「いつも何かを模索し、何かを求め、手をさしのべておかないと運は降りてこない」 「幸運の神様は、常に用意された人にのみ訪れる」 「ツキはもっとも努力した者へと飛び込んでくる」 「大切なことは質問をやめないことだ、好奇心こそ我々の存在を示すものなのだ」 「天才とは、99%の汗と1%の閃きである」 どれも、どこかの偉い人たちが言ったことだそうだが、言っている内容は全部同じ。 なーんだ結局努力しろってことか!ケッ!オレは努力せずに成功したいんだよっ! なんて考えている人はこの世にゴマンといるだろうけど、今まで、なぜそれじゃいけないのかって理由をハッキリとした言葉で表現できなかった。楽して儲けたいなんてのは誰もが思うことだし、例えば、宝くじで一等が当たれば明日から仕事行かなくてもいいんじゃないかなんて誰でも一度は思ったことがあることだろう。 いやね、私自身は、別に楽して成功したいとか思っているわけでもないし、不労所得なんてものに憧れていたわけでもない。宝くじやギャンブルなんて興味もないどころかクソ食らえだと思っている。もしひとつだけ志していたことがあるとすれば、「最小限の努力で最高の結果を生むこと」であり、それを実現するための努力はずっとしてきたつもり。 どちらかというと、むしろ、この世に無駄なことなんてひとつもない。いろんなことに興味を持って、「広く浅く」でもいいからなんでも知りたいという思いの方が強かったし、そんな私の思考(嗜好)は、ずっとこのブログを見てくださっている方にはご理解していただけるのではないかと思う。 とにかく、知らないよりは知っておいた方がいいに決まっている。べつに「知らなくて損した」ぐらいのことならどうだっていい。だけれど、世の中には知らないことによって見えないことがたくさんあるということに今頃になってようやく気づいた。だから努力し続ける必要があったのだと。 「見えない」ことは、すなわち「存在しない」こと。 見えないのだから、そこにあることすらわからない。 「なにもしなくっても何かのきっかけでそれが見えることがあるのでは?」なんてお思いのアナタ。甘いな。だって、それは現にそこにあるんだもの。それが今見えていない時点で機会(チャンス)を逃しているんだよ。後から気づいたって後の祭りなのさ。 「チャンス」とはそういうものなのだ。 しかしキチンとそれを見ることさえ出来れば、目の前どころか、360度、IMAXばりにそこいら中、至るところに転がっているのだ。それがチャンスなんだ。 チャンスは待っていれば来るもんじゃない。常に身の回りにあるもので、要はそれが見えるか見えないかなんだって。中には見えているのに掴まないなんていう人もいるんだろうけど、それはまた別の問題。掴む気がないんだから、関係ないし。とにかく、まずは見えなきゃなにも始まらない。 アナタにそのチャンスは見えますか? 「OPEN YOUR EYES!」 「開眼せよ!」 そういうことだったんだね。 #
by yaling
| 2006-10-31 11:46
| 仕事のぼやき
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