ふと、昔の記憶を思い出し、腹が立った。
小学生の頃、図画の時間に担任の教師が私の絵に対して「ここをこうした方がいいよ」と言ったのだ。 その時は素直に指示通りに手直しを入れようとしたのだが、自分のイメージとは違う仕上がりになり、なんとなく釈然としない気持ちになったことを思い出したのだ。 中・高になると図画は美術となり専門の教師がそれを教えることになるのだが、小学校の担任なんてのはオールマイティで国語算数理科社会図画工作音楽体育なんでもござれである。 そんな先生がなぜあの時、私に絵のなんたるかを教えようとしたのか。 あの時、自由に自分の思うがまま描いていれば、私は芸術家になっていたかもしれない。 あの時、あの先生が私を大人の尺度で、大人の常識の枠にはめ込もうとしなければ、私はもっと自由に自分を表現できるようになっていたかもしれない。 こどもの描く絵は天才的である。 もし大人にこどもが描く絵を描くことができたなら、その人は芸術家と呼ばれているに違いない。 そりゃ基礎があってのモノダネだなんていわれそうだけれど、中・高の専門の先生ならまだしもあんなオールマイティにそれほどの基礎があったとは到底思えない。 多分恐らくアンタよりこどもの私の方がよっぽどアーティストだったんじゃないのか。 自分のこどもたちには自由に描かせよう。まちがっても私の枠にはめるようなマネだけはしないでおこう。 そんな風なことを考えたある休日の午後のお話。
by yaling
| 2006-07-01 01:28
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