ひとにはそれぞれの考え方がある。
それは生まれ持った性格によって異なり 育ってきた環境によっても異なり 他人はもちろん親兄弟でも同じではない。 それでも身内であれば一緒に居る時間が長い分、まだお互い理解する余地があるが、こと他人の意見となると、そうそう耳を貸せるものではない。 インターネットの普及により、またブログの流行により、他人の意見を目にする機会が増えて来た。 「なるほど!そういう考え方も出来るのか!目からウロコとはまさにこのことだな!」 なんていう意見に遭遇することは人生においてそうそうあることではなく、幸せなことだと私は思う。それは自分の殻を破ってひと回り成長したことを意味するからである。私はどちらかというと頑固者で人の言うことに耳を貸さない。そんな私が感化されたり影響を受けるということは自分にとっても驚きなわけであり、喜びでもある。 が、しかしこういうことは本当にごく稀な例で、共感できない意見を目にした際、大抵の場合は 「なに言うとんねん。コイツバカか?」 ということになる。 普通の人なら、それでオシマイなのだが、そこがインターネットの恐ろしいところで、ひとつの反感が更なる反感を生み出していく。負の情報は瞬く間に広がり、どんどんと増殖、波及していく。何気無い一言が物議をかもし出し、ヘタをすると吊るし上げを喰らうことになる。吊るし上げで済めばまだいい方で、そこから事件となることもある。 インターネット上に、このような雰囲気ができた背景に『2ちゃんねる』の存在が少なからず影響を及ぼしているということには皆さんも異論はないとは思う。自分の意見をぶつけ合うことには反対しない。むしろ良いことだと思う。ただ、匿名性が高い分、無責任な発言が多くみられることも確かだ。 日本人はもともと控えめで謙虚な国民性を持っていた。会議などでも、どちらかというと「一方的に自分の発言を述べるのではなく、まず人の意見を聞いてから、そこに自分の考えを加味して発言する」なんていうのがこれまでのスタイルだった。(それが本当の自分の意見かどうかというのはここでは置いておきます。) しかし、変な国際化(アメリカナイズ)の波にのって自分の意見をハッキリ言う方が良いといった風潮が生まれてきた。モジモジして言いたい事をハッキリ言わないことはダメなことだと言われるようになった。 【テレビではいらんことまでズケズケ偉そうに言う無責任はオバハンたちが持てはやされた】 テレビのオバハンたちは好きなことを言って、言いっぱなしのまま何の責任も取らずに消えて行き、好きな事を好き勝手に発言する土壌だけが残った。自分が発言するということに伴う責任については誰も何も言わないまま、ここまで来た。 今、ネット上では無責任で他人を思いやらない発言で満ち溢れている。自分の気に入らない発言に対しては、徹底的に交戦の構えを見せる。映画【スターウォーズ】でいうところの≪ダークフォース≫で溢れかえっている。負の力は更なる負の力を呼び込む。 【悪循環】 こうなるとそう簡単には良い方向には戻せない。 今はそういう意味で過渡期に差し掛かっているのかもしれない。 でも忘れないで欲しい。自分が発言するということの意味を。 そう言った以上、そこには自分に対する責任が発生することを。 忘れないで欲しい。不特定多数の人間が見ているということを。 そして見ている側も忘れないで欲しい。そこに他人がいることを。 自分と違う意見を持った人間がそこにいて当然だということを。 日本人もそろそろ大人にならないといけない時が来たようだ。 その発言の真意を見抜く力を持たなければいけない。 インターネットの情報を過信してはいけない。 他人を受け入れる、他人を許す、心に余裕を持たないといけない。 テレビのオバハンや政治家たちのような無責任な人間にならないためにも。 【自分の言ったことに責任を持つ】 こんなこと、5歳の子供に教えるようなことだと思うのだが。
by yaling
| 2004-06-02 14:20
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