「感動」という病
記事中に自分の記事を取り上げてもらった記事にTBする私はなんて浅ましいんでしょう。なんて言ってもすっかりaco様人気に寄生しているこのブログですので、今更なにをいうことがございますでしょうか。えぇえぇ、aco様の犬とでもなんとでも呼ぶがいいさ!おほほほほ。 でね、日本人って昔っからそうだったのか、戦後のGHQによる思想教育の賜物か、どうも右に倣えが過ぎる感じを受ける。(最近特にそう思うようになってきた。) 前にどこぞでソニーの偉い方が、「近頃の新入社員はソニーに入ればソニーの仕事があると思って入社してくる。仕事がパッケージになって用意されてるわけがないのに。」なんて話をしていたのを見たか聞いたかしたことがある。 「与えられた仕事はキッチリこなします。」 なんてことを実際に面接でいうバカが多いけど、まず「お前らみたいな言われたことしか出来ないなんて奴は小学生以下なんだよ!」ってことを自覚して欲しい。 「十人十色」って言ってな、それぞれが違う意見を言えるから意味があるんじゃん。最初から自分の色を持たずに入社してきて「会社の色に染まります」なんてのが美徳だと思ってるならそんな奴は自衛隊か警察官にでもなればいいさ。 「泣ける映画」(=感動できる映画)が最近のキーワードらしい。 ヒットする映画は「泣ける映画」ばっか。「セカチュー」「いま会い」同じスタッフが作った似たような映画がヒットする。もともと泣ける映画でもなくても、「感動作」なんてつけると人が集まるらしい。「ハイドアンドシーク」の宣伝文句「超感動スリラー」なんていうのはもう、はちゃめちゃで意味がわからん。(内容も全く持って救いのない話で感動すらできなかったし。) でもな、「愛する人が死ぬ」話見て、泣けるのは仕方ないにしてもそれを「感動」だと言うバカは、毎日自分の手で身内の人間をひとりひとり殺していってずっと感動してればいい。 そんなもんで泣けたところで、それを「感動」なんていわないで貰いたい。 自分の親が死んで、葬式で泣いてる人をみて「あの人感動してるわ」なんて思うバカがどこにいる。結局他人ごとで、自分に関係ないから高いところから見下ろしながら、「かわいそう」とか言って泣いてるだけじゃんよ。 ワイドショーの列車事故の取り扱い方もまるっきり一緒。亡くなった方たちのコレまでの人生を映し出して、遺族を映し出して…「かわいそう」。 で、そんな「他人の為に泣ける私っていいひとだわぁ」なんて思ってそうでマジ怖いよ。 最初は飼ってた犬が死ぬシーンで泣けてたのが、友人になり、親になり、配偶者になり、子供になっていく。どこぞの連続殺人犯の思考と似てるような気がしません? aco様が紹介されてた「幸福論」なんてのも一緒で、例えば金持ちが幸せかというとそうじゃないこともある。物欲なんてのはどんどんエスカレートしていき、いつまで経っても満たされることはない。 本当の感動や幸せなんてものは、普段目の前にあるほんの些細なことなんだよ。それらを見ようともしないで、その辺にあるお手軽な、安物の、パッケージ化された「感動」を自分が追い求めていることに、早く気づいた方がいい。手遅れにならないうちにね。 感動も幸せも決して人から与えられるモノじゃない。自分で見つけ出すもんなんだよ。
by yaling
| 2005-05-25 12:45
| 仕事のぼやき
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